興福寺官務牒疏にある古刹で、観音堂の素晴らしさは遠く都の人々の口の端にのぼるほどであったといわれていましたが、残念ながら焼失し、現在の観音堂は江戸時代、僧覚仁によって建てられたものと言われています。千手十一面観世音が本尊として祀られています。昔、周囲の谷川に村人を困らせる大蛇が棲んでおり、酒を呑ませて退治をしたことから、この地を酒波(さなみ)と呼ぶようになったといいます。寺名も同じ由来です。参道の長い山裾のお寺で、春になるとエドヒガン桜やソメイヨシノが見事に咲きみだれ、参拝する人々の目を和ませてくれます。